サウンド・スケッチ2つ

投稿作品あれこれ
08 /21 2017

機材の使い方を忘れると困るので、曲をつくった。まず簡単なインストものを2つ。







それから当時忙しくて忘れてしまっていたが、初音ミクさんのオリジナル曲も投稿していた。






聞いてみてね~(^▽^)/
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雄国沼散策&猫魔ヶ岳登頂記

アウトドア
07 /16 2017

■ 最近の出来事

福島県北塩原村にある猫魔ヶ岳に登ってきた。
目的:
・麓の雄国沼のニッコウキスゲが見頃を迎えているため
・猛暑日が続いているので、標高1000m以上の高地で涼む
・「猫魔」という地名が気になったので、どんなところか行って確かめる


■ 猫魔ヶ岳とは? 雄国沼とは?

以下の地図を見ていただきたい(クリックで拡大)。
福島県の図
1 福島県の図

猫魔ヶ岳の図
2 猫魔ヶ岳の図

桧原湖、磐梯山、猪苗代湖という有名な地形が北から南へと縦に並んでいて、その西側、会津盆地との間にもう一つ山体がある。
猫魔火山という大昔の火山の名残で、カルデラ地形となっている。その外輪山のうち、一番高いピークが猫魔ヶ岳。カルデラの中にある湖沼と湿原が雄国沼。
雄国沼はニッコウキスゲという黄色い花の群生地として有名。ニッコウキスゲは本州北部の高原に咲く植物。花期は今回の目的地の場合、6月下旬以降。朝に開いて夕方には萎れてしまう。


■ 猫魔ヶ岳山頂(1404m)の様子

まず雄国沼の展望台から猫魔ヶ岳を眺める。

3 アンタが猫魔ヶ岳か
「うお~、見えてきた! アンタが猫魔ヶ岳か~、私は猫村だが~(親近感)」

猫魔ヶ岳は外輪山の中で一番高いピークだが、飛び抜けて高いというわけではなく、山容としてはヒジョーに地味。遠くから見ても面白くもなんともなかった。

しかし苦労して頂上に登ってみると、そこには見事な眺望が広がっていた。

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iPhoneのUSB3カメラアダプタを購入した

→ レッスン11回目~
06 /11 2017

■ キーボードとスマホを繋げる

iPhoneアクセサリの Lightning - USB3 カメラアダプタを購入した。

IMG_2741.jpg

何でって言ったら、鍵盤を弾くとき、必ずPCを点けなくてはならないのが気になったからだ。
midiキーボードには音源が内蔵していない。とにかく何らかの音源に繋がないと、何の音もしない。ただの黒い板になる。
しかしDTM環境を豊かにすればするほど、それだけ鍵盤演奏ライフも豊かになる(かもしれない)。

今回は、スマホと繋げることを考えた。
iPhoneの音源についてはあまり詳しくないけど、、、
Garageband.jpg
Garageband
    KORG Module
KORG Module
こんなアプリがmidiキーボードに対応している。ピアノやシンセの音源が豊富である。

チェンバロの音色が弾きたいという場合、、、


このようなアプリもある。音の発信源(スピーカー)がiPhoneだけどね…。
「自分が弾いているのは何なのだろう」という疑問がさらに膨らむと思う(自分の場合(^^;)。

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半年間のまとめ

→ レッスン11回目~
06 /03 2017

■ 半年が経った

去年の12月からレッスンに通い始めて、5月で半年間のカリキュラムを終えた。一区切りということで、これまでの歩みを振り返ってみた。

勢いで教室通いとブログの更新を決めたため、当初は、、、


「あの人、自宅の鍵盤の鍵幅が違うのも知らずにピアノ教室に通い始めて、、、」
「おまけにブログの更新にまで手を出したんだって!」
「…!」


33_DTM風情が
「DTM風情が調子に乗りおって!」
「シーケンスの自動演奏で我慢しておればよいものを!!」
「わーっ、うわぁー!!」

このような不安が大きかったし、未だに抜けきれないところがある。
でもおかげさまで、先生曰く「かなりいいペース」で上達してきたらしい(4月あたりの話し)。


■ いま気になること

しかし自分の置かれている状況に対して気になる問題点が多々あって、それは、、、
既存の伝統的な道筋から逸脱しすぎていて、自分が何やっているかよく分からない。

・楽譜は買わずにネットで落としたものを印刷、何でも書き込む
・自宅の練習環境はmidiキーボード + DTMの音源
・音を覚えるのに音声合成ソフトによる音名ガイドを使う
 → 読譜能力が一向に向上しない
などなど
こうまとめられることに尽きる。

まず、自分が普段自宅で弾いているのは何なのだろうか。
スピーカーから「チェンバロもどき」「ピアノもどき」etcの音が鳴る鍵盤楽器一般
としか言えない。教室には通っているけど、「ピアノが弾ける」とか「チェンバロが弾ける」とは全く思わないし、口が裂けても言えない。

ただし、
左手と右手の10本の指で2~4声部の音を捉えて、そういうポリフォニーの曲を演奏する
こういう意識は強く芽生えたかもしれない。
音楽の肝要事はこういうこと(楽譜に書かれてあること)だと思うし、その次にピアノやチェンバロといった音色やタッチの問題が来ると考えてやってきた。


■ 最近の動き

今現在は19回目のレッスンを終えたところで、引き続きF.クープラン「神秘のバリケード」の練習中で、何となく演奏のまとめ(表現性の話し?)に取り組んでいる感じ。
それは完全にGピアノでしか表現し得ないタッチの世界の話しであり、、、先生と「この部分はこのような軽いタッチで、次のここはディミニッシュの緊張を要するところなのでこのように強く…」というような話しを深めている。

自宅の練習環境では、当然こういった領域の世界には手が届かない。「どうしたものやら」と思いはじめた。レベルが高すぎるかもしれない。

今回初めてお借りしたもの:
「リンXS改変 ノーマルコスチューム」
http://seiga.nicovideo.jp/seiga/im3506569

「結月ゆかり 純 MMDモデル」
http://www.vocalomakets.com/mmd.html

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『ひきこもる小さな哲学者たちへ』からの抜粋

→ レッスン11回目~
06 /01 2017

ここ何回かの記事を通じて、「自分にとって鍵盤演奏の時間は何なのか」を考えてきたが、なかなか上手く言いきれない。
「心的なグルーミング(毛づくろい)」と考えていきたいのだが、これは昔読んだ本が元になっている。

2002年ころ刊行された『ひきこもる小さな哲学者たちへ』という本である。心理カウンセラーの方が引きこもりの子を持つ親に向けて書いた本で、その一節に「心の肌着」というのがあった。

所々を端折って抜粋する。
「心の肌着」(41ページより)
 外界は傷つきや冷たさにさらされる危険に満ちている。誰かに傷つけられなくても、恥をかいたり失敗して嫌な思いもする。外に出れば、こうした傷つきは避けることができない。
 それでも私たちが毎日学校など外に出られるのは、目には見えないけれども暖かい「心の肌着」を身にまとっているからではないか。
 「心の肌着」は、人からのちょっとしたねぎらいの言葉、日々の親子でのさり気ない会話や団らんでの笑い、家庭の暖かさからつくられるもの。学校から帰ってしばし居間でボーッと過ごしている間に、傷ついた肌着をつくろったり新しい肌着に着替えているのだ。……。

 家族が仲違いして冷たい空気が漂っていたり、お互いにねぎらいの言葉さえ交わせないほど忙しいとき、心の肌着を着替えられない。着替えることは自分の弱い部分をさらけ出すことであり、安全な風土がなければできないから。
 何日も心の肌着を着替えることができないまま外に出ていき、たまたま以前ほころびたところに冷たい言葉のとげが刺さったりすると、心はひどく傷ついてしまう。こうしたことが度重なると、外に出ていくことが怖くなる。……。

 傷つきから身を守るために重いよろいをつける人もいる。これはたしかに身を守ることはできるが、無骨なよろい姿が人を怖がらせるばかりでなく、人との柔軟な関わりが妨げられてしまう。……。
 無骨なよろいをまとっていれば軽やかに動き回ることができない。そしてよろいの重さに疲れ果ててしまう。よろいを着る生活が長くなると、強そうな見かけとは裏腹にその下にはか細い身体しかないことを人に知られるのを恐れるようになり、ますます強固に防衛してしまうことになる。……。

 心の肌着があれば、外に出たときに傷つくことをむやみに怯えることもなくなり、生活に不便なよろいを身につけなくてもよくなる。親として常日頃からこざっぱりした衣服や気持ちのいい下着を用意するのに気を配っていると思うけど、それと同じくらいに心の肌着の着替えも大切…。

なんとなく御もっともな感じもするけど、とにかく目に見えない世界の話しなので確認のしようがない…orz
しかしここで言われていることは、動物でいうグルーミング行為で間違いない。身体表面の衛生環境を整える行いは、人間の心の方にもバッチリ当てはまるのかもしれない。

それで、楽器演奏を始めとする音楽の体験も、この目に見えない話しの一つに含めてOKだろう、、、という考えなわけである。
まだそんなに重要にはなってこないと思うけど、このような定義づけでこの先も練習に励んでいきたい。

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