iPhoneのUSB3カメラアダプタを購入した

→ レッスン11回目~
06 /11 2017

■ キーボードとスマホを繋げる

iPhoneアクセサリの Lightning - USB3 カメラアダプタを購入した。

IMG_2741.jpg

何でって言ったら、鍵盤を弾くとき、必ずPCを点けなくてはならないのが気になったからだ。
midiキーボードには音源が内蔵していない。とにかく何らかの音源に繋がないと、何の音もしない。ただの黒い板になる。
しかしDTM環境を豊かにすればするほど、それだけ鍵盤演奏ライフも豊かになる(かもしれない)。

今回は、スマホと繋げることを考えた。
iPhoneの音源についてはあまり詳しくないけど、、、
Garageband.jpg
Garageband
    KORG Module
KORG Module
こんなアプリがmidiキーボードに対応している。ピアノやシンセの音源が豊富である。

チェンバロの音色が弾きたいという場合、、、


このようなアプリもある。音の発信源(スピーカー)がiPhoneだけどね…。
「自分が弾いているのは何なのだろう」という疑問がさらに膨らむと思う(自分の場合(^^;)。

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半年間のまとめ

→ レッスン11回目~
06 /03 2017

■ 半年が経った

去年の12月からレッスンに通い始めて、5月で半年間のカリキュラムを終えた。一区切りということで、これまでの歩みを振り返ってみた。

勢いで教室通いとブログの更新を決めたため、当初は、、、


「あの人、自宅の鍵盤の鍵幅が違うのも知らずにピアノ教室に通い始めて、、、」
「おまけにブログの更新にまで手を出したんだって!」
「…!」


33_DTM風情が
「DTM風情が調子に乗りおって!」
「シーケンスの自動演奏で我慢しておればよいものを!!」
「わーっ、うわぁー!!」

このような不安が大きかったし、未だに抜けきれないところがある。
でもおかげさまで、先生曰く「かなりいいペース」で上達してきたらしい(4月あたりの話し)。


■ いま気になること

しかし自分の置かれている状況に対して気になる問題点が多々あって、それは、、、
既存の伝統的な道筋から逸脱しすぎていて、自分が何やっているかよく分からない。

・楽譜は買わずにネットで落としたものを印刷、何でも書き込む
・自宅の練習環境はmidiキーボード + DTMの音源
・音を覚えるのに音声合成ソフトによる音名ガイドを使う
 → 読譜能力が一向に向上しない
などなど
こうまとめられることに尽きる。

まず、自分が普段自宅で弾いているのは何なのだろうか。
スピーカーから「チェンバロもどき」「ピアノもどき」etcの音が鳴る鍵盤楽器一般
としか言えない。教室には通っているけど、「ピアノが弾ける」とか「チェンバロが弾ける」とは全く思わないし、口が裂けても言えない。

ただし、
左手と右手の10本の指で2~4声部の音を捉えて、そういうポリフォニーの曲を演奏する
こういう意識は強く芽生えたかもしれない。
音楽の肝要事はこういうこと(楽譜に書かれてあること)だと思うし、その次にピアノやチェンバロといった音色やタッチの問題が来ると考えてやってきた。


■ 最近の動き

今現在は19回目のレッスンを終えたところで、引き続きF.クープラン「神秘のバリケード」の練習中で、何となく演奏のまとめ(表現性の話し?)に取り組んでいる感じ。
それは完全にGピアノでしか表現し得ないタッチの世界の話しであり、、、先生と「この部分はこのような軽いタッチで、次のここはディミニッシュの緊張を要するところなのでこのように強く…」というような話しを深めている。

自宅の練習環境では、当然こういった領域の世界には手が届かない。「どうしたものやら」と思いはじめた。レベルが高すぎるかもしれない。

今回初めてお借りしたもの:
「リンXS改変 ノーマルコスチューム」
http://seiga.nicovideo.jp/seiga/im3506569

「結月ゆかり 純 MMDモデル」
http://www.vocalomakets.com/mmd.html

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『ひきこもる小さな哲学者たちへ』からの抜粋

→ レッスン11回目~
06 /01 2017

ここ何回かの記事を通じて、「自分にとって鍵盤演奏の時間は何なのか」を考えてきたが、なかなか上手く言いきれない。
「心的なグルーミング(毛づくろい)」と考えていきたいのだが、これは昔読んだ本が元になっている。

2002年ころ刊行された『ひきこもる小さな哲学者たちへ』という本である。心理カウンセラーの方が引きこもりの子を持つ親に向けて書いた本で、その一節に「心の肌着」というのがあった。

所々を端折って抜粋する。
「心の肌着」(41ページより)
 外界は傷つきや冷たさにさらされる危険に満ちている。誰かに傷つけられなくても、恥をかいたり失敗して嫌な思いもする。外に出れば、こうした傷つきは避けることができない。
 それでも私たちが毎日学校など外に出られるのは、目には見えないけれども暖かい「心の肌着」を身にまとっているからではないか。
 「心の肌着」は、人からのちょっとしたねぎらいの言葉、日々の親子でのさり気ない会話や団らんでの笑い、家庭の暖かさからつくられるもの。学校から帰ってしばし居間でボーッと過ごしている間に、傷ついた肌着をつくろったり新しい肌着に着替えているのだ。……。

 家族が仲違いして冷たい空気が漂っていたり、お互いにねぎらいの言葉さえ交わせないほど忙しいとき、心の肌着を着替えられない。着替えることは自分の弱い部分をさらけ出すことであり、安全な風土がなければできないから。
 何日も心の肌着を着替えることができないまま外に出ていき、たまたま以前ほころびたところに冷たい言葉のとげが刺さったりすると、心はひどく傷ついてしまう。こうしたことが度重なると、外に出ていくことが怖くなる。……。

 傷つきから身を守るために重いよろいをつける人もいる。これはたしかに身を守ることはできるが、無骨なよろい姿が人を怖がらせるばかりでなく、人との柔軟な関わりが妨げられてしまう。……。
 無骨なよろいをまとっていれば軽やかに動き回ることができない。そしてよろいの重さに疲れ果ててしまう。よろいを着る生活が長くなると、強そうな見かけとは裏腹にその下にはか細い身体しかないことを人に知られるのを恐れるようになり、ますます強固に防衛してしまうことになる。……。

 心の肌着があれば、外に出たときに傷つくことをむやみに怯えることもなくなり、生活に不便なよろいを身につけなくてもよくなる。親として常日頃からこざっぱりした衣服や気持ちのいい下着を用意するのに気を配っていると思うけど、それと同じくらいに心の肌着の着替えも大切…。

なんとなく御もっともな感じもするけど、とにかく目に見えない世界の話しなので確認のしようがない…orz
しかしここで言われていることは、動物でいうグルーミング行為で間違いない。身体表面の衛生環境を整える行いは、人間の心の方にもバッチリ当てはまるのかもしれない。

それで、楽器演奏を始めとする音楽の体験も、この目に見えない話しの一つに含めてOKだろう、、、という考えなわけである。
まだそんなに重要にはなってこないと思うけど、このような定義づけでこの先も練習に励んでいきたい。

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楽器演奏は心的なグルーミング行為なのか!?

→ レッスン11回目~
05 /29 2017

前回の記事の続きで、動物のグルーミング(毛づくろい)という行動を考えていく。

動物には、自分の身体の表面を夢中で(?)弄くり回すような数々の行動がある。 犬猫が手足を舐め、ハエが手を摺り足を摺り、鳥が背中を啄(ついば)み、猿が仲間内でシラミを取り除く。あらゆる動物にこのような行動がある。身体表面の衛生環境を整える意味合いがあるとか言われる。この一連の行動をグルーミング(grooming)という。

それで、人間にとっては楽器演奏などの夢中になれる何かがこれに当たるのではないかということである。動物としての生存には無関係だけど、精神の安定のために必要な感じのする数々の行い…、楽器演奏、音楽鑑賞、読書、映画鑑賞、ショッピング、パチンコ、カラオケ、、、要するに趣味一般のことである。最近ではSNSの小まめなチェックとかスマホゲーも加わるだろうか。これらの行いは、動物のグルーミングに当たるのではないか!?

ココロというものは物理的姿形を持たないので、表面(すなわち内と外の境目)があるのか分からないし、それが綻ぶかどうかも分からない。ただ人付き合いがかさむと、人は何かそれ以外のことに夢中になりたくなるものだ。独りになる時間が大切だったりする。これを人間の心的グルーミングと呼んでいきたい。

音楽を聴くだけではこのような観念の結びつきは起こりにくいが、身体を動かす楽器演奏を習得していくにつれて、そのように考えていけるようになった。

例えば勉強中のペン回しなどは、どんなに上達しても成績が上がることはない。楽器演奏だって、どんなに上達しても腹が満たされるわけでもなければ、(フツーの人は)何らかの収入に繋がるわけでもない。
なぜ人は これらの生存とは無関係な行いを夢中になって上達したがるのか。心的グルーミングという提案はこういうことである。


どうしてこんなにも小難しく考えるかというと、物事が切羽詰まって来たときに、このような定義づけが必要になってくるためだ。
例えば、、、
・ある曲をどのくらい上手く弾けるようになるか、自分で決めなきゃいけないとき
・1年契約のレッスンを更新するかどうかを決めるとき
こういうのを自分で決めるとき、「自分は何のために鍵盤楽器を弾くのか」の定義が基準になってくる(ハズ、今までの経験上)。

要するに、今まではガムシャラに練習してきたけど、「鍵盤演奏の時間は自分にとって何なのか」を考えるようになってきたということである。

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心に財産を持つこと 2

→ レッスン11回目~
05 /19 2017

やたらと忙しかった日程を振り返り、前回のと同じテーマでもう一回話しを続ける。

どうしても断れないスケジュールが重なると、この世に自分が数人必要な感じになる(断ればよいのだが)。「これは自分が三人くらい要るナァ~、どうしてこの世に自分は三人いないんだろうナァ~」と、途方もないことを考えるようになる。たぶん目が虚ろになっていると思う。
ここに睡眠不足も加わってくると、いよいよノイローゼっぽい危険な精神状態になる。感覚が鋭敏になって、自分の忙しさを知らない周りの人が、全て冷たくよそよそしく感じられるようになる。

先月の忙しさからは、鍵盤演奏習得の意義を教わったような気がした。過密スケジュールによって心が荒み疲れてしまったとき、周りの人のちょっとした言葉遣い、表情の変化によっても心がグラつくような状況で、、、
・自分の中に、自分独りだけでも信じられる世界を持つこと
・簡単に失われがちな平常的自尊心? 人間の在り方のイメージ?を、常に確認できること
そういう心の財産を持ちつつあるのかもしれない。


私はいい年こいてピアノ教室に通い始めたわけだが、これまでを振り返ってみると、自分でもその理由がハッキリしてないところがある。常に上達はしたいが、コンクールに出たいとは思わない。動画をアップして再生数が幾つという目標もない。まだ不特定多数の人に聞いてもらえる段階にないし…。
そういうんではなくて、自分の中だけで信じられるものを持ちたかったのかもしれない。感受性が強いのか、簡単に心乱れやすい自分にとって、日々の忙しい暮らしは、そういうのがないと上手くこなせないのかもしれない…。


練習開始当初は毎日同じ曲ばかり弾いていて飽きないかとも思ったが、そんなことはなかった。
毎日揺れ動く心境に対して、ちょうど動物のグルーミング(毛繕い)のような働きを持つのかもしれない。「大体こんな感じでありたいナァ」という心境イメージの呼び覚まし・矯め直しな感じがする。
自尊心の表面は他者との接触によって日々肌荒れっぽいことが起きるのかもしれず、鍵盤演奏はそのグルーミングと考えることができるかもしれない。


まいにち挑戦できるものがあると、ちょっとした気分転換にもなるよね~♪


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